NPO法人北丹沢山岳センター 杉本憲昭理事長が
甲州裏街道(陣馬山和田街道)を行く 2回目


 和田林道は昭和53年神奈川県津田文吾知事により、峠を切通しにして開通した。
 この峠は武蔵と相模の国境線にあり、和田峠から西側案下側に150mいった所に醍醐峠、生藤山方面の分岐点に醍醐関所があった。
《和田峠より生藤山方面へ》
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 この関所は案下関所の分所として5年間ぐらい設置されていたと言われている。
 今は杉林一面に覆われ、歴史を語る一遍の跡すらない。
《醍醐関所跡、今は杉林のたたずまい》
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 峠から山頂には直登コースと平坦コースがあり、20分〜30分で気楽に登れるコースが整備されている。
 平坦コースでは峠から15分の位置に昔は東京都山の家が作られ、昭和20年〜30年に陣馬山を訪れるハイキングのお客様に宿泊も出来、ししやまの親父さんと慕われた人気者の管理人がいた。
 今はこの山の家は取り壊され、この位置から下の恩方方面に車道とは別にハイキング道が八王子市により作られている。
 陣馬山は昭和30年代当時には「陣場山」と呼ばれていたが、山頂に白馬の像が建てられた後は、いつのまにか陣馬山と言われるようになった。
 昭和36年国土地理院発行の5万分の1の地図には「陣場山」と書かれている。
 陣馬山は昭和19年国鉄藤野駅をつくるために、当時の小渕村財産区の土地を売却してつくられた。
 陣馬山はこの時代には森林に覆われていたが、昭和24年に山林火災にみまわれ、山は一週間にわたり燃え続けたと言われている。
 この時代、陣馬山山頂には今の富士見小屋が横穴でつくられ営業されていた。
 陣馬山山頂は標高854.8mと国土地理院が857mから精査し是正している。
 古い5万分の1の地図は訂正しておきたいものだ。
 この陣馬山からは関八州が見渡せる景勝地でもあり、夏の夜空の輝きはすばらしく、新宿副都心や東京タワー等が眼下に広がって夜景も又輝きを見せてくれる。
 そして、この陣馬山にはお茶屋の3軒の主人はそれぞれが個性豊かな持ち主で、登山客はそれぞれの主人の所に集い、お茶屋を盛りたててくれている。
 「山清水茶屋」の主人は1年365日陣馬山から富士山を描き続け、亡くなるまで膨大な富士山のスケッチを残してくれた。
 幾度となく新聞に報じられ個展を開くほどの玄人の腕前と言われた。
 今は弟の令宣氏に引き継がれている。
 次に古くから陣馬山山頂にある「富士見茶屋」の故大木好富氏は栃谷の家からオートバイで年中夫婦で和田峠まで通っていた。
 陣馬山の案内人らしく人の世話をすることが好きで、話好きの名ガイドとして多くの信奉者が集まり、陣馬山山頂で餅つきのイベント等、多様なイベントを行ってきた。
 今は子息夫婦に引き継がれている。
 和田峠より最初に現れるのが「信玄茶屋」である。
 小池トキさんは女手一つで男の子2人を育てて、富士見茶屋の大木好富夫婦と丁々発止で陣馬山山頂を仲良く取り仕切っていた。
 2人の息子は山好きで、長男の小池栄一郎夫婦が今では、本格的な茶屋を営業している。
陣馬山からの下山コースは10コース以上あります。

 清水茶屋より一の尾根コース落合下山口があり、一の尾根の途中和田上沢井下山口、富士見茶屋より高尾山方面に至り、栃谷尾根より姫谷、陣渓園、陣谷温泉などのコースがあり、更に八王子方面には信玄茶屋横より旧東京都の山の家経由下恩方への歩道コース、和田峠より車道を恩方に下山するコース、陣馬山より明王峠から与瀬に下山してその先の景信山より千木良下山口、そして高尾山へと多くのコースが取れます。
 交通の便はJR八王子駅、JR高尾駅・JR相模湖駅、JR藤野駅、京王線高尾駅等が利用出来、身近なところから登山出来ます。







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