NPO法人北丹沢山岳センター 杉本憲昭理事長が
甲州裏街道(陣馬山和田街道)を行く 1回目
平成24年10月14日(日)に和田ビジターセンターより、陣馬山和田峠まで、山里の歴史と秋の自然を求めて散策を行った。
天候に恵まれ、朝早くから既に何台かの車がビジターセンターの駐車場に置かれ、早朝の8時台のバスには多くのハイキング客が終点である和田バス停で下車していた。
《県立陣場自然公園センター》
ここの和田集落は春には沢井川にこいのぼりが泳ぎ、祭りも開かれている。
昔、和田集落は甲州街道の裏街道として栄え、明治の文明開化の頃は、絹の道として、八王子恩方より御殿峠を経て横浜に生糸として運ばれ、輸出されていた。
和田には酒屋(小沢商店)が1軒、食事のできる茶屋(やさか茶屋)と地域の「和田の村の家」で竹細工とソバ打ちの体験教室が開かれている。
《やさか茶屋 村のただひとつの食堂》
川沿いには段々畑のお茶畑が広がっており、その先にある点在している家屋が山里の風情を色濃くかもし出している。
最近は村の人口より、猿の数が多く、我が物顔に出没し、村の犬はしっぽをまるめて逃げまわっている。
これだけでなく猿が柿の木に群がり、追い払うと猿が山から石を下に落とす等、智恵がつき、これから先が思いやられると村人は思案顔である。
村の道祖神には安政年間の碑も見られる。
《大明神の碑》
和田集落から陣馬山に至る主なルートは2本で、一の尾根につながるものである。
《鬼取橋 一の尾根登山口》
和田の終点には和田簡易水道の施設やゲートがあり、ここからが和田林道の出発地点となる。今では林道も整備され、舗装もされている。
旧和田林道は東側の谷沿いに道は作られ、武田信玄の小田原攻めの際、ここの滝の水を使い鍋を壊したことから鍋こわしの滝と命名されたと言われている。
《峠の途中にある鍋こわしの滝標識》
《鍋こわしの滝》
この滝の横に古い和田峠への街道の石垣が残っている。
《右手の土手にある峠の石垣》
峠へは厳しいつづらおりの道が続き、峠にたどり着く前に、馬が落命することが多く、馬頭観音も建てられている。
《安政年間の馬頭観音》
峠の手前には2ヵ所の休憩台があり、地元佐野川の地域の有志により作られているが、ここからの富士山の展望が素晴らしく多くのカメラ好きの人々で賑わっている。
《峠で唯一富士山のみえるシャッターポイント》
出発点から60分足らずで、峠に着くとそこは武蔵の国と相模の国の国境となっている。
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